ご無沙汰しています。翔子です。
皆様、お元気にしておりましたか?
私は相変わらず元気です。
「大奥~牡丹の綻び~」という長編小説の改訂に悪戦苦闘しております(汗)
書いたのは3年前で、自分自身でも驚いています。確か、昨年か一昨年に編集を多少ですが加えたり、読んで自分で泣いたりしていたのですが……あまりにも稚拙過ぎる内容と地の文の書き方に恥ずかしくなりました。
改訂して悪文にならないように何度も行ったり来たりとしています。
現在は非公開になっておりますが、四月中を目処に勤しみたいと思います。
それでは本題に入りましょう。
先月、日本へ一時帰国しました。
そして、ずっと観たかった、映画「すずめの戸締まり」を観てきました。
2022年11月11日に全国公開されたのですが、本数は少なくとも現在まで上映が続けられています。人気の証ですね。ロングランに感謝しております。海外へも上映され、次々とヒットしているとのこと。
素晴らしい事です。
もちろん、映画の感想としては、素晴らしかったです!! 久しぶりの映画というのもあり、新海誠の描く世界観には本当に惹かれます。
思ったんですが、新海誠の作品って主人公を一旦落としてから駆け上がらせることが多いですね。中だるみがありませんでした。
音楽も歌も最高過ぎました。
映画を観た後に、こちらの小説版を近所の書店で購入し、先ほど読破しました。
鈴芽の視点で書かれておりまして、多少苦手意識はありましたが、映画では感じ得ない心情が描かれていて、再び映画が観たくなります。
まず、あらすじをどうぞ:
九州の静かな港町で叔母と暮らす17歳の少女・鈴芽。ある日の登校中、
美しい青年とすれ違った鈴芽は、「扉を探してるんだ」という彼を追って
山中の廃墟へと辿りつく。しかしそこにあったのは、
崩壊から取り残されたようにぽつんと佇む古ぼけた白い扉だけ。
何かに引き寄せられるように、鈴芽はその扉に手を伸ばすが……。過去と現在と未来
を繋ぐ、鈴芽の ”戸締まり” の物語が始まる。
新海誠監督が自ら執筆した原作小説!
(裏表紙に記載されたあらすじから引用)
この小説は映画公開前の2022年8月24日。KADOKAWA(角川文庫)から刊行されました。手元にある版は第6版です。
新海誠監督はあくまでも映画アニメ製作者であり、小説家ではありません。
なので、言い回しに奇をてらった物、つまり、難しい漢字ばかりを使った言葉遣いが無いので、”読みやすい” ものではありました。
しかし、多くの小説に触れた方々にとっては多少の中だるみ感を感じることでしょう。
設定としては一人称のはずなのに他視点を「後から訊いた」という事に持って行くのは、なかなか勝負に出たな、と感じましたね。少し違う意味にはなりますが、一人称多視点はタブーされているきらいがあります。
ですが察するに、周りに多くのスタッフを抱えるのに、あえて一人称視点で書いて、それを担当編集が指摘せずにそのままでいるのには何かしらの理由があると思います。
よって、これ以上は触れないで置きましょう。
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草太との出会い、そして、先々で出会う人々との営みや環境に圧倒されつつも、その経験が主人公・鈴芽を一歩成長させた。
そして何より、草太の役割である「閉じ師」の務めの重さ、責任……何百万人の命を救うためであると知ると、鈴芽の怠惰だった人生の導火線となり、誰かのため、ひいては草太のため、役立つことをしたいと思うようになった。
二人の成長の物語であり、大きな地震を治める方法の期待と不安の物語でもあると私は思うのです。
これから起こるとされる、南海トラフ地震、そして首都直下型地震。日本という国が四つのプレートの上にあることが、不運なのか必然なのか、真相は神のみぞしるというところでしょうか。
一人でも多く助かる何かしらの方法を、我々自身が見出さなければなりませんね。
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ここでちょっとした与太話:
私個人の問題であるのですが、小説を読まないと途端に書けなくなるという現象が起きます。
元々、そんなに日本語が得意でないというのもありますが、少しの章を読めばすぐに書けるという特異体質(そんな特異点いらないww)があります。
頭の中に残る、諸先輩方の書き方の癖、読む時のスムーズさがあるからだと思います。
未だに ”自分の小説” を書けていないように感じます。
色々プライベートの事が重なって、書けないも読めないも日もあるので、四月からは気を引き締め、スケジューリングの強化を努めます。
読みたい物も、書きたい物もあるので!!
時間は掛りますが、楽しみにして頂けたら嬉しいです!