世界最古の長編小説と言われる「源氏物語」。皆様は読んだことはあるでしょうか?
自分語りになりますが、私が中学生のころ、iTouchアプリの「青空文庫」にて与謝野晶子氏訳の「源氏物語」に没頭していました。
その作者である紫式部の目線から語られる、この書籍を私はジュンク堂書店にて発見しました。
「紫式部ひとり語り」
紫式部日記や紫式部集といった、彼女が記した文集から紐解き、その人となりを個人が語るという構図で作られたこの本は、小説とも自叙伝と言っても過言ではありません。
まるで本人が1000年前から舞い降りて書いたかのように、その語り口はリアルで、まるで現代にも通じる後宮内の争いや愚痴、彼女の身に巻き起こる愛の駆け引きや友情が描かれています。
冒頭から語り過ぎるのもいけませんね。
ひとまず、あらすじをどうぞ:
「この私の人生に、どれだけの華やかさがあったものだろうか。紫の上にちなむ
呼び名 には、とうてい不似合いとしか言えぬ私なのだ」──。
望んでいなかったはずの女房となった理由、宮中の人付き合いの難しさ、主人中宮
彰子への賛嘆、清少納言への批判、道長との関係、そして数々の哀しい別れ。
研究の第一人者だからこそ可能となった、新感覚の紫式部譚。年表や系図も充実。
(裏表紙に記載されたあらすじから引用)
「源氏物語」とは、言わずもがな帝の子である光源氏が、数多の女性と恋に走り、最愛の母の面影を追って様々な試練に負けじと突き進んでいく物語です。
もちろん、恋ばかりではなく、朝廷内の権力闘争にも真っ向から立ち向かい、最後には准太上天皇という待遇を経る、順風満帆で波乱な人生を描いた作品です。
全54帖にもなるこの作品、一部欠損疑惑のある章があったり、最後の宇治十帖は作者不同とも言われていますが、根本は紫式部という受領階級の娘が著しました。
私自身、作者は紫式部ではないんじゃないか?男性が書いたのではないか?という論争をことに聞きますが、私はやはり女性である紫式部が書いたと信じています。
今でこそ、多様性の時代で「女性が書いた云々」の論争は叩かれてしまう対象になってしまいますが、それこそ、紫式部の ”狙い” だったのではないでしょうか?
男性でしか書けないような朝廷内の権力闘争の話、作中に登場する女性の妊娠期間の相違等、それは全て彼女が仕組んだカムフラージュだったのではないかと。
もちろんこれらは憶測にすぎませんが、女性であっても朝廷内の権力闘争も耳にするし、妊娠期間なんて人それぞれ違います。早産もあり得ますからね。十月十日(とつきとおか)が皆それぞれ訪れるとは限りませんから。
・・・
脱線してしまいました、戻ります。
その紫式部、来年には大河ドラマの主人公になるという、快挙ともいうべきこの前年に私はこの本に出合えてよかったと思います。
紫式部とはどういった女性なのか?
本名も不確定で、生没年もまるではっきりとしない、この平安時代の女性に私は長年惹かれていました。それが大河ドラマにようやくなったのですから、素晴らしい時代になったものです。
この本ではその謎だった人物像が明らかとなり、洗い流された気分になりました。
紫式部の父・藤原為時(ふじわらのためとき)は文人であり歌人。家には数多の中国の書籍【漢籍】があり、紫式部は幼い頃から漢籍に触れている。しかも極めて才があり、弟(一説には兄とも)の藤原惟規(ふじわらののぶのり)に漢学を教えている時、傍で聴いていた紫式部が上達してしまうほどでした。彼女曰く、”おこぼれ学問” とのこと。
しかし、平安の時代では、女性が漢字を学ぶことは ”はしたない” と言われていた時代でした。なぜならば、家にいるだけの妻や娘が漢学を学んでも出世の道は無いからです。酷いものですね。しかし、これが当たり前の時代でした。
父からは「お前が男でなかったことが惜しい」と言われてしまい、彼女はとても悔しく思ったのでしょう。
表では漢字の ”一” の横棒ですら書かないように努めて、生きてきました。
しかし、彼女は学ぶことは諦めず、漢籍を読み、そこに書かれた歴史や愛の物語、そして哲学に心を奪われました。
この経験もあって、かの長編である「源氏物語」を書くきっかけになったのかもしれません。
ここで面白いのは、紫式部の家系の話。
五代前から父の代まで、どのような遍歴があったかなど、誰が誰と結婚しただの、彼の人物は親戚だの、どうやって没落しただのと、事細かに説明されています。
それも、全くの説明文でというわけではなく、エピソードなどもふんだんに記されていてとても読みやすいです。
平安時代の人たちって ”お堅い” 人たちばかりなのかなと思ったらそんなことはありません。話し方や和歌の難しい言い回しに惑わされているのでしょう。私もその一人でした。
しかし、そうではありません。難しい遠回しな言い方をしているだけで、本当はド直球の、いわばナンパです。普通に浮気、不倫もあれば略奪愛もざら。歳の差婚も一夫多妻制もなんのその。
平安時代の日本はさしずめ、現代のフランスのように熱い愛の国だったのでしょうね?←
紫式部が後宮──天皇の后妃が住まう空間、へ女房として出仕したのは夫が亡くなり、「源氏物語」を書き始めた頃の事。
藤原道長とその妻・倫子(りんし──紫式部のまたいとこ)のたっての頼みで中宮・彰子の女房として出仕しました。彰子はお二人の娘であり、帝の后で未だに子が出来ないことを心配し、なんとか帝に振り向いて貰えるようにと、学のある紫式部に白羽の矢が立ったのです。
紫式部は当初、女房という存在を見下していた節があった。それは彼女自身も女房を雇っている身で、あれやこれやと詮索してきたり、噂話をして言いふらすその様が嫌いだったのだという。
そしてその気持ちは更に冗長させることになるのは、同僚の女房達から冷たくされたこと。出仕後すぐに実家へひきこもってしまう、いわばボイコットのようなものでしょうか? それをしてしまいます。
「仲良くしてくれなきゃ出社しない!」となんともプライドが高い人物であることがここで分かります。
しかし、女房達が彼女を冷たくする訳は至極単純なものだった。その詳細を語るには余りにネタバレになるので控えますが、勘違いが生んだ冷たさだったことが判明し、普通に出仕してきます。なんとお人間らしい、可愛い部分がある紫式部ですね。
それからのお話は、紫式部の女房としての暮らしぶり、目の当たりにする朝廷内の権力闘争、彼女の成長、主である彰子の葛藤、そして晩年が描かれています。
先に述べたように、まさに現代に通じる、人間臭い世界観が平安時代に存在しています。
もしも、私のこの拙い読書感想文で、「読んでみたい」と思う方がいらっしゃれば、是非にも手に取って読んで頂きたいと思います。
大河ドラマ「光る君へ」を楽しみにしているという方にはぜひとも読んで欲しい。
原作ではありませんが、大方、紫式部日記や紫式部集を参考に描かれることでしょうし、平安時代の奥深さを事前に習得することも一考かと存じます。
最後に、私が感銘を受けた文を少しだけ、引用します:
「今日は昨日の繰り返しであり、明日はまた今日と似た日の繰り返しになるのだと、私は何の根拠もなく思いこんでいた。それはなんと浅はかな考えだったことだろうか」
「どれだけ泣いても、人生という『世』に限りがあることにはあらがえない。その絶対の真実の前には、人はどうしようもなく無力でしかないのだ」
「私は身ではなく心で生きようと思った。それを現実からの逃避と言われても、一向に構わない。むしろ心にこそ現実よりもずっと完璧な世界が作れるような気がした。
こうして私は変わった。現実を生きながら、もう一つそれとは違う世界、心の世界を生きる人間になったのだ」